マカオのギャンブル業界を香港または中国にいるプレイヤーに売り込むというコンセプトは少なくとも2世紀、そしてそれよりもはるかに前に生まれた可能性が高い。ホン・ワイ・ホー氏が、その進化とジャンケット規制について詳しく調査した2018年のレポートの中で説明しているように、大まかに現在のVIPビジネスの手法に似たものの最初の種が芽を出したのは、マカオ当局がタイ・ヘン・カンパニー(Tai Heng Company)に、地元で人気のゲーム、ファンタン(番攤)を行う独占ライセンスを与えた1930年代だった。(中略)
STDMのアイコンであるカジノ・リスボアのオープンの後、ジャンケットビジネスが今日の姿へと向かって巨大な歩みを進めたのは1970年の事だった。当時贅沢の極みと見られていたリスボアには、香港からの観光客がどんどん押し寄せ、STDMにとってのドル箱であることを証明した。
出典:iag JAPAN
https://www.asgam.jp/index.php/2020/09/16/junkets-unmasked-jp/
ジャンケットは90年も前からいた!
海外富裕層へギャンブルを売り込み、口説いた客を特定のカジノ施設へ誘導。さらに交通手段・宿泊・食事・その他快適な設備を客に提供することで報酬を得るのがジャンケットという職業だ。
現在では必要に応じてプレイヤーに資金を貸付たり、債券を回収すること存在としても知られ、現在のマカオでこの職業は政府や当局の監査対象。誠実性調査やライセンス登録などを義務付けられて厳重に管理されている。
▼ジャンケットについての参考記事
このジャンケットのルーツは、なんと今から90年も昔に遡る。当時のマカオでは、米粒ほどのおはじきの数を当てる地元ゲーム『ファンタン(番攤)』が人気を博していたそうだ。
ちなみに現在は主役の座をバカラに奪われてしまったが、ファンタンは一部のカジノで見かけることができ、地元年配客中心に親しまれている。
生みの親はあのスタンレー・ホー
今のジャンケットという職業の原型を作ったのは、先日亡くなったマカオのカジノ王ことスタンレー・ホー氏。
1970年代当時、香港-マカオ間のフェリーチケット市場に蔓延っていたダフ屋を一掃するためダフ屋たちにジャンケットの仕事を提案。それが脈々と今日まで繋がっているというのだからすごい話だ。